もしも火星に飛ばされたら(5・最終回)砂嵐の夜も働く探査車の原子力電池【原子核物理学編】
公開日
2026年9月14日
更新日
2026年11月2日
シリーズのこれまでの回はこちら:
- 第1回:もしも火星に飛ばされたら(1)あなたは今日から、バスケ選手より跳べる【力学編】
- 第2回:もしも火星に飛ばされたら(2)火星で水を沸かすと、冷たいまま沸騰する【熱力学編】
- 第3回:もしも火星に飛ばされたら(3)火星の夕焼けは、青い【波編】
- 第4回:もしも火星に飛ばされたら(4)コンパスは地球のように北を指さない【電磁気学編】
嫌な予感は当たりました。太陽の輪郭はぼやけ、数日のうちに空は茶色く濁り、昼でも夕暮れのような薄闇に変わります。砂嵐です。火星では数年に一度、星全体を包み込む大砂嵐が発生し、太陽は何週間も見えなくなります。明かりも暖房も基地の太陽光パネル頼みのあなたにとって、これは死活問題です。

2018年6月、全球砂嵐の最中のキュリオシティ。空が塵で濁っている。写真:NASA/JPL-Caltech/MSSS
『もしも火星に飛ばされたら』は、ある日突然火星に飛ばされたあなたが、高校物理を頼りに生き延びるシリーズです。いよいよ最終回。ただ、途方に暮れる必要はありません。なにしろ、この星にはすでに同じ砂嵐を何度もくぐり抜けてきた先輩がいます。――NASAの探査車です。
前回の内容はこちら:
この記事の主な内容
太陽光パネルの限界――オポチュニティの最期
探査車の電源といえば、まず太陽光パネルです。太陽の光が当たると電気が流れる。その根っこにあるのは、光が「粒」として電子にエネルギーを渡すという事実です。高校物理の最終盤で「光電効果」として学ぶ、光の粒としての顔――その同じ性質を半導体の中で利用したもの(光起電力効果)が、太陽電池の正体です。光は波であると同時に粒でもある。物理でいちばん不思議な事実が、パネルの中で毎日働いています。
しかし太陽光には弱点があります。日射が少なくなると、発電量も下がることです。太陽が雲や塵で直接見えなくても、散乱した光が届けば発電できる場合がありますが、強い砂嵐では必要な電力を確保できなくなります。2018年の大砂嵐の際、着陸から約14年5か月にわたって活動したオポチュニティは、電力が大きく低下し、6月10日を最後に通信が途絶えました。最後に届いたデータには、砂嵐で暗くなった空を写した未完成の画像もあります。
キュリオシティが、砂嵐の夜も走れる理由
一方、同じ砂嵐の中、後から着陸したひとまわり大型の探査車キュリオシティは、平然と観測を続けていました。夜も、冬も、砂嵐の最中も。その理由は、搭載していた電源が、太陽光パネルではなく原子力電池だったからです。
原子力電池の中身は、プルトニウム238という物質です。この原子核は不安定で、放っておいても勝手に壊れていきます(放射性崩壊)。壊れるときに熱が出る。その熱を電気に変えるのが原子力電池です。化学燃料を燃やしたり、太陽光を受けたりする必要はありません。ただし、プルトニウム238を含む物質そのものが核燃料です。通常の使用環境ではその放射性崩壊は天候によらないため、夜や砂嵐でも電源として使えます。発電装置には使用条件があり、電力も永久に一定ではありません。
どれくらい持つのか。放射性核種の原子核の数が半分になるまでの時間を半減期といい、プルトニウム238では約88年です。これは電池の寿命そのものではありません。崩壊熱は徐々に減り、発電素子の劣化などもあるため、使える電力は時間とともに下がります。NASAはキュリオシティなどに使うMMRTGの設計寿命を14年と説明しています。これより長く動作する実例もあり、1977年打ち上げのボイジャーは、2026年時点でも電力を節約しながら観測を続けています。ボイジャーの現在地は太陽圏の外の星間空間です。太陽の重力に束縛された天体まで含む意味での「太陽系」の外に出た、ということではありません。
| 電源 | 仕組み | 主な条件・制約 |
|---|---|---|
| 太陽電池 | 届いた光のエネルギーの一部を電気へ変える | 夜は発電できず、強い砂嵐やパネル上の塵で発電量が低下する。冬でも日照があれば発電可能。 |
| 放射性同位体熱電発電機(RTG) | プルトニウム238の崩壊熱の一部を電気へ変える | 太陽光に依存しないが、発電量は徐々に低下する。核種の半減期と装置の寿命は別。 |
見えない雨――放射線とどう付き合うか
原子核の話をしたので、有人火星探査の重要な課題の一つにも触れておきます。放射線です。
宇宙空間には、超新星爆発などで加速された高エネルギーの粒子(宇宙線)が飛び交っています。地球では磁場と厚い大気が宇宙からの放射線の影響を和らげていますが、火星には地球のような全球的な固有磁場がなく、大気も薄い状態です。キュリオシティがゲールクレーターで測った2012年8月〜2013年6月の線量当量率は、平均で約0.67mSv/日でした。線量は太陽活動や大気・遮蔽物の条件で変わるため、「地球の何倍」と一律に示すことはできません。宇宙飛行士の防護を考えるうえで重要な観測です。
ここで大切なのは、怖がることではなく、正しく怖がることです。放射線とは何なのか、半減期とは何を意味するのか、どれだけ浴びると何が起きるのか。原子核物理学は、レントゲンやCT検査、原子力発電のニュースを感情ではなく仕組みで判断するための、大人にこそ必要な教養だと思っています。
今日の火星データ
2018年の全球砂嵐:太陽光のオポチュニティは交信途絶、原子力電池のキュリオシティは観測継続/プルトニウム238の半減期:約88年/火星地表の線量当量率の観測例:ゲールクレーターで平均約0.67mSv/日(2012年8月〜2013年6月)
地球へ、おかえりなさい
これでこのシリーズは最終回です。振り返れば、重力を測ったのは力学。水と気圧の関係を見抜いたのは熱力学。青い夕焼けの謎を解いたのは波。コンパスの謎と大気の運命を教えてくれたのは電磁気学。そして砂嵐の夜を越えさせてくれたのが、原子核物理学――高校物理の5分野、すべてが登場しました。宇宙服や生命維持装置があると仮定したこの思考実験で、状況を読み解く手がかりになったのが物理です。世界が変わっても持ち出せる、いちばん軽い装備です。
そして、地球へおかえりなさい。磁場が大気を守り、気圧が液体の水を許し、重力がほどよく体を引き止めてくれる――この星のありがたさは、火星帰りのあなたがいちばんよく知っています。
物理は、教科書の中ではなく、いつもの通勤路や台所や夕焼けの中にあります。このシリーズで、それが少しでも身近に感じられたなら嬉しいです。よければここから、一緒に学び直してみませんか。
<文/岡崎 凌>
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<監修・執筆/和から株式会社 岡崎凌>
参考資料
- NASA:Opportunityの活動と最後の通信
- NASA:Opportunityが最後に送信した画像
- NASA:原子力電池の燃料・半減期・設計寿命
- NASA/JPL:Voyager 1の電力節約と観測(2026年10月)
- NASA:太陽圏と太陽系の境界の違い
- NASA/JPL:火星地表の放射線の測定(2013年)
※2026年11月2日に内容を更新しました。
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