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もしも火星に飛ばされたら(2)火星で水を沸かすと、冷たいまま沸騰する【熱力学編】

公開日

2026年9月8日

更新日

2026年9月10日

火星で最初の朝を迎えたあなたは、ひどく喉が渇いていることに気づきます。見渡すかぎり、赤い砂と岩。それでも望みはあります。この星には、極地と呼ばれる場所や地面の下に、氷があるのです。

『もしも火星に飛ばされたら』は、ある日突然火星に飛ばされたあなたが、高校物理を頼りに生き延びるシリーズです。第2回のテーマは水。氷を溶かして、沸かして、殺菌して飲む――地球なら当たり前のこの手順ですが、火星では思わぬ落とし穴になります。

火星の北極冠(マーズ・グローバル・サーベイヤー撮影)

火星の北極冠。水はある。問題は、この星では液体でいられないこと。写真:NASA/JPL-Caltech/MSSS

火星の空気は、地球の0.6%しかない

前回、火星の大気は薄いという話をしました。数字で言うと、地表の気圧は地球の約0.6%。富士山の頂上ですら地上の63%はあるので、火星の薄さは桁違いです。ほぼ真空と言っていい。

前回の内容はこちら:

もしも火星に飛ばされたら(1)あなたは今日から、バスケ選手より跳べる【力学編】

「空気が薄いと呼吸ができない」はすぐ想像がつきますよね。でも、気圧の低さはもっと意外なところに影響があります。お湯の温度です。

気圧が下がると、沸点も下がる

水が100℃で沸騰するのは、実は「1気圧、つまり私たちが普段暮らしている状況なら」という条件付きの話です。沸騰とは、水の内部から蒸発が始まる現象で、周りの気圧が低いほど、低い温度で始まります。

実際、同じ地球上でも、富士山の頂上では、水は約87℃で沸騰します。だから山頂で炊いたご飯は生煮えになりやすい。実際、私も富士山の頂上でカップ麺を作ったことがありますが、表示時間どおりに待っても麺に芯が残り、しかもぬるかったです。87℃のお湯では、それが限界なのです。

エベレストの頂上なら約70℃。登山家がいくら火にかけても、70℃より熱いお湯は手に入りません。沸騰した瞬間、そこがお湯の上限温度になるからです。

では、気圧が地球の0.6%しかない火星では? 水はなんと0℃をわずかに超えたあたりで沸騰してしまいます。氷を溶かして「よし温めるぞ」と思った矢先に、冷たいままボコボコ沸き立って、蒸発して消えていく。ぬるいどころか、冷たいまま沸騰するのです。当然、煮沸消毒はできません。70℃のお湯すら、火星の屋外では原理的に作れないのです。


火星の水は「凍りながら沸騰する」

ここで、ちょっと鳥肌が立つ偶然をひとつ。水が「氷・水・水蒸気」の3つの姿で同時に存在できるギリギリの気圧を、物理では三重点と呼びます。その値は約611パスカル。そして火星の平均気圧は、ほぼぴったりこの値なのです。

つまり火星は、「液体の水」が存在できるかできないかの、まさに崖っぷちに立っている星です。少しでも気圧の低い場所では、氷は溶けて水になることすら許されず、氷から直接、水蒸気になります。ドライアイスが白い煙を出して小さくなっていく、あの現象(昇華)と同じことが、火星では水で起きるのです。運が良い場所と季節なら、凍りながら沸騰する水、という奇妙な光景が見られます。

では、どうするか――圧力鍋という発明

絶望する必要はありません。沸点が気圧で決まるなら、気圧を自分で作ればいいのです。

密閉した容器の中で水を温めれば、水蒸気がたまって内部の気圧が上がり、沸点も上がっていきます。これ、家庭にある道具そのものです。そう、圧力鍋。地球の圧力鍋は内部を約2気圧にして、沸点を120℃近くまで引き上げ、普通の鍋より早く柔らかく煮る道具です。火星基地の与圧された居住モジュールは、いわば人間ごと入れる巨大な圧力鍋。中では水がちゃんと「熱く」沸きます。

つまり、あなたが火星で温かいスープを飲む方法と、あなたの家で肉じゃがが早く煮える理由は、まったく同じ法則だということです。

今日の火星データ

地表の平均気圧:約610パスカル(地球の約0.6%)/水の三重点:約611パスカル/沸点の目安:地上100℃・富士山頂約87℃・エベレスト山頂約70℃・火星ほぼ0℃/圧力鍋の内部:約2気圧・約120℃

今夜は、温かいスープを

密閉容器という「持ち運べる気圧」さえ確保すれば、火星でも温かい飲み物にありつけます。山小屋のご飯が微妙に硬い理由から、あなたの家の圧力鍋がおいしい理由、そして火星で水が冷たいまま沸騰する理由まで――ぜんぶ気圧と沸点という同じ一つの法則でした。台所と火星は、物理でつながっています。

水を確保して、ひと安心。翌日の夕方、あなたは岩に腰を下ろして、初めてゆっくりと火星の空を眺めます。砂の平原に、太陽が沈んでいく。そして、目をこすることになります。夕焼けが――青い

次回、第3回〔波編〕に続きます。

もしも火星に飛ばされたら(3)火星の夕焼けは、青い【波編】

<文/岡崎 凌>
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