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もしも火星に飛ばされたら(5・最終回)砂嵐の夜、探査車の電池はなぜ切れないのか【原子核物理学編】

公開日

2026年9月14日

更新日

2026年9月14日



嫌な予感は当たりました。太陽の輪郭はぼやけ、数日のうちに空は茶色く濁り、昼でも夕暮れのような薄闇に変わります。砂嵐です。火星では数年に一度、星全体を包み込む大砂嵐が発生し、太陽は何週間も見えなくなります。明かりも暖房も基地の太陽光パネル頼みのあなたにとって、これは死活問題です。

2018年の全球砂嵐の最中に撮影されたキュリオシティの自撮り

2018年6月、全球砂嵐の最中のキュリオシティ。空が塵で濁っている。写真:NASA/JPL-Caltech/MSSS

『もしも火星に飛ばされたら』は、ある日突然火星に飛ばされたあなたが、高校物理を頼りに生き延びるシリーズです。いよいよ最終回。ただ、途方に暮れる必要はありません。なにしろ、この星にはすでに同じ砂嵐を何度もくぐり抜けてきた先輩がいます。――NASAの探査車です。

前回の内容はこちら:

https://wakara.co.jp/mathlog/20260912-2

太陽光パネルの限界――オポチュニティの最期

探査車の電源といえば、まず太陽光パネルです。太陽の光が当たると電気が流れる。その根っこにあるのは、光が「粒」として電子にエネルギーを渡すという事実です。高校物理の最終盤で「光電効果」として学ぶ、光の粒としての顔――その同じ性質を半導体の中で利用したもの(光起電力効果)が、太陽電池の正体です。光は波であると同時に粒でもある。物理でいちばん不思議な事実が、パネルの中で毎日働いています。

しかし太陽光には弱点があります。太陽が見えなければ、一枚も発電できない。2018年、火星全体を覆う大砂嵐が発生したとき、太陽光パネルで15年間走り続けた探査車オポチュニティは、電力を失って交信が途絶えました。管制室が最後に受け取ったメッセージは「バッテリー残量が少なく、あたりは暗い」という、悲壮感漂う内容だったと伝えられています。

キュリオシティが、砂嵐の夜も走れる理由

一方、同じ砂嵐の中、後から着陸したひとまわり大型の探査車キュリオシティは、平然と観測を続けていました。夜も、冬も、砂嵐の最中も。その理由は、搭載していた電源が、太陽光パネルではなく原子力電池だったからです。

原子力電池の中身は、プルトニウム238という物質です。この原子核は不安定で、放っておいても勝手に壊れていきます(放射性崩壊)。壊れるときに熱が出る。その熱を電気に変えるのが原子力電池です。燃料も、火も、太陽も要りません。原子核が壊れるペースは温度にも天気にも一切左右されないので、どんな環境でも黙々と発電し続けます

どれくらい持つのか。放射性物質には「半分が壊れるまでの時間」(半減期)という尺度があり、プルトニウム238の半減期は約88年。つまり数十年単位で働き続けられる電池です。実際、1977年に打ち上げられたボイジャー探査機は、同じ仕組みの電池で半世紀近く経った今も太陽系の外を飛び続けています。

見えない雨――放射線とどう付き合うか

原子核の話をしたので、火星サバイバル最大の課題にも触れておきます。放射線です。

宇宙空間には、超新星爆発などで加速された高エネルギーの粒子(宇宙線)が飛び交っています。地球では、第4回で見た磁場と、分厚い大気が二重の盾になってくれていますが、火星は両方とも薄い。地表に立つだけで、地球の何十倍もの放射線を浴びることになります。火星移住の技術的な最難関は、ロケットよりもむしろこの「見えない雨」だと言われています。

ここで大切なのは、怖がることではなく、正しく怖がることです。放射線とは何なのか、半減期とは何を意味するのか、どれだけ浴びると何が起きるのか。原子核物理学は、レントゲンやCT検査、原子力発電のニュースを感情ではなく仕組みで判断するための、大人にこそ必要な教養だと思っています。

今日の火星データ

2018年の全球砂嵐:太陽光のオポチュニティは交信途絶、原子力電池のキュリオシティは観測継続/プルトニウム238の半減期:約88年/火星地表の放射線量:地球の数十倍


地球へ、おかえりなさい

これでこのシリーズは最終回です。振り返れば、重力を測ったのは力学。水と気圧の関係を見抜いたのは熱力学。青い夕焼けの謎を解いたのは。コンパスの謎と大気の運命を教えてくれたのは電磁気学。そして砂嵐の夜を越えさせてくれたのが、原子核物理学――高校物理の5分野、すべてが登場しました。荷物ゼロで放り出されたあなたを支えた唯一の装備が、物理です。世界が変わっても持ち出せる、いちばん軽い装備です。

そして、地球へおかえりなさい。磁場が大気を守り、気圧が液体の水を許し、重力がほどよく体を引き止めてくれる――この星のありがたさは、火星帰りのあなたがいちばんよく知っています。

物理は、教科書の中ではなく、いつもの通勤路や台所や夕焼けの中にあります。このシリーズで、それが少しでも身近に感じられたなら嬉しいです。よければここから、一緒に学び直してみませんか。

<文/岡崎 凌>
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