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「宇宙を理解する道を拓いた研究者」ガリレオ・ガリレイは何をした人物なのか?(後編)

公開日

2022年2月26日

更新日

2022年2月26日

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本記事は、「「宇宙を理解する道を拓いた研究者」ガリレオ・ガリレイは何をした人物なのか?(前編)」の続きの記事となります。まだ読んでいない方は、ぜひそちらからご覧いただけるとより楽しめる内容となっております。

「地動説」vs「天動説」

自ら作製した望遠鏡によって天体の観察を続けることで、「地球は不動ではなく、太陽の周りを回転しているのでは?(=地動説)」と思い至ったガリレオ・ガリレイ。一方、当時の常識は天動説で、地球は全ての中心であり太陽を含むすべての天体はその周りを回っている(=天動説)と考えられていました。何より神から人間に向けて書かれた聖書にも記載されているものを丸ごと覆すような内容を考えること自体、あってはならない危険なことでした。

当時正しいとされていた天動説の描像。地球を中心として周りを他の天体が回転している。

ほどなくしてガリレオ・ガリレイを危険視する人々が現れ、ガリレイも当初主張を曲げなかった結果、異端尋問へかけられました。結果は「そんな説(地動説)を言っても書いてもいけない」との判決となり、一度はガリレオも引き下がりました。その後は異端審問のこともありしばらく体調を崩していたガリレイでしたが、やがて快復すると再び研究活動を再開します。

異端審問にかけられるガリレオ・ガリレイ。

ガリレオは研究して分かったことを直接的に書くのはまずいと思い、地動説と天動説をそれぞれ主張する二人の人物が対話するという形で『天文対話』という書籍にまとめました。この書籍では天動説が主張するところとそれに対する反論が対話形式で並べられており、最終的に地動説が支持される内容となっています。しかし、ガリレオ自身が地動説を支持しているということもあってか対話の中で地動説に寄っている部分があり、それをガリレオに反発する人が誇張して「天動説を愚弄している」とローマ教皇に進言しました。その結果発刊後まもなく『天文対話』は発禁となり、ガリレイは再び異端審問所に呼び出されます。

二度目の審問で彼は、「信仰を取るか。自分の学説を取るか。」という究極の2択を迫られます。過去にも異端審問の末火あぶりによって殺された先輩の学者がおり、望まれない回答をするとどうなるか理解していたガリレイは、苦渋の選択の末に「自分の学説を捨てる」ことにしました。結果として死刑こそ免れたものの、1年後に釈放された後は気軽に外出することも出来ず、自宅に軟禁状態になりました。それでも科学への関心はなくならず、亡くなる直前まで自宅で研究を続けたとされています。

ガリレオ亡き後、彼の支持した地動説が世の常識となったのはわずか30年後です。1992年には、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判の誤りを認め、公式に謝罪しました。 2008年にはローマ法王ベネディクト16世が「彼の研究は信仰に反していなかった」と地動説を公式に認める発言を行っており、死後ではあるもののガリレオの名誉は回復しました。そして、2022年現在、彼の類まれな好奇心と観察力によって生み出された偉大なる業績は、世界中の人々に語り継がれ、その研究は科学者たちに受け継がれています。

おわりに

ガリレオ・ガリレイといえば天文学や地動説のイメージがありますが、実はその他にも物理学や数学においても大きな発見を数多く行っています。振り子の等時性落体の法則慣性の法則ガリレオの相対性原理の発見など、現在の物理学の基礎的な概念の多くが科学者にもたらされました。さらに、科学の長い歴史の中で考えたときに、ガリレオは哲学や宗教から科学を衝突しつつも、切り離していく流れに大きく貢献した人物であり、そのため「科学の父」と評されることもあります。興味が出た方は、ぜひ『天文対話』を読んでみたり、ガリレオについて調べてみたりすると良いでしょう。

最後に、世界を理解するための方法は聖書ではなく、世界そのものにあると信じて顕微鏡を自ら作り、自説を封じ込められて軟禁状態になっても亡くなるまで観察と研究を続けたガリレオが遺した言葉を一つ紹介して本稿を締めくくろうと思います。

『見えないと始まらない。見ようとしないと始まらない。』

それではまた。

<文/岡崎 凌>
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天文対話〈上〉 ガリレオ ガリレイ(著), 青木 靖三(翻訳) 岩波書店

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