歴代最高の天才科学者~アイザック・ニュートンの人物と業績とは?~(前編)
公開日
2022年3月1日
更新日
2022年3月1日
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人類の歴史に残る科学者や数学者の中でも、アイザック・ニュートンの名前を聞いたことがない方はほとんどいないでしょう。自然科学(物理・数学)分野における史上空前の大天才との呼び声も高く、彼に匹敵するのはニュートン以前では紀元前に活躍したアルキメデスくらい、ニュートン以後にはまだ出現していないのではないかともいわれています。
今回は、ニュートンはどんな人物なのか、どのようなことを行ったのかについて見ていきましょう。
どんな人?
ニュートンは、イギリス(イングランド)のリンカーシャー地方ウールスソープという村で、1643年に生まれました。この年は奇しくも同じく科学者であるガリレオ・ガリレイが亡くなった年でもあります。
ニュートン家は、100年もの前から土地を開拓しながら所有地を増やしてきた裕福な農家でした。父はニュートンが誕生する2ヶ月前に病死しており、母親は父と同じように農家になることを期待していましたが、ニュートンは羊番をしながら本に読みふけるほどの勉強好きで、彼に学業へと進ませることにします。
勉強の面白さにのめりこんでいくニュートンに対して、母はそろそろ家の仕事を手伝ってほしいと学校を辞めさせて家に呼び戻します。しかしニュートンは農作業をさせても全く熱心ではなく、ニュートンの才能を見出したキング・スクールの説得もあり、食事会での給仕や靴洗いなどの雑用をする代わりに学費などが免除される給費生としてケンブリッジ大学へと進学することになります。
大学に入学したニュートンは、大学にある数学書を片端から読み漁りました。そしてすべてを理解し、間違いも数々見つけるという天才ぶりを発揮しました。大学3年生のころにはすでに光の色に関する独自の勉強・研究を始めており、大学4年生のことにはもう当時の世界トップレベルに達していたとされています。
そんな大学生活の卒業の年、ロンドンを中心にペストと呼ばれる感染症が大流行しました。大学は閉鎖され、ニュートンは故郷に帰ることを余儀なくされました。しかし、ニュートンにとってはここまで勉強してきたことをもとに一人思索にふけることができ、その期間に生み出された成果が人類の物理学・数学を大きく飛躍させることになりました。ニュートン自身この様々な発見を行った約1年半のことを「創造的休暇(the prime of my age for invention)」と呼んでいます。
ニュートンが行った発見が具体的にどのようなものだったのかは、次回見てきましょう。
<文/岡崎 凌>
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