「クリミアの天使」看護師ナイチンゲール!その裏の顔とは
公開日
2020年5月12日
更新日
2020年5月12日
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本日5/12はフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の誕生日です。
皆さんはナイチンゲールと聞いて、どんな想像をされるでしょうか?
19世紀にヨーロッパで起きた悲惨なクリミア戦争の中で、野戦病院に日夜運ばれてくる患者を1日中癒し続けた看護師。戦争で傷ついた患者に何時間も包帯を巻き続ける彼女に、いつしか「クリミアの天使」と呼ばれるように…。
そんなイメージを持たれている方もいらっしゃるかもしれません。
死者数20万人以上とも言われる大戦争の最中、野戦病院で看護師として勤め、大きな活躍したのも事実ですが、実は、この人物、「統計学の母」とも呼ばれています。
今回は、ナイチンゲールのもう一つの顔、「統計学の母」の側面について、お話ししようと思います。
この記事の主な内容
1. ナイチンゲールはどんな人?
ナイチンゲールは1820年、両親の新婚旅行先であったイタリアのフィレンツェに生まれました。裕福な家庭で育った彼女は、12歳ごろから数学や歴史などの英才教育を施されます。ナイチンゲールの指導を行なった先生には、数学者ジョセフ・ジェームス・シルベスター、統計学者アドルフ・ケトレーをはじめ、現代にも名前が残る学者たちが名を連ねます。ちなみにシルベスターは、現在の線形代数学(数学の一分野)で学ぶ「シルベスター行列」を生み出しており、大学で数学を学んだ方は名前を聞いたことがあるかもしれませんね。同じく「シルベスター数列」と呼ばれるとても面白い性質を持つ数列も有名ですので、ご興味がある方は調べてみてください。
また、ケトレーは、「近代統計学の父」とまで呼ばれる大統計学者です。
人間の出生、結婚、死亡などの行動を研究する社会学において、「平均」や「正規分布」などの概念を持ち込み、「社会物理学(Social Physics)」と呼ばれる学問を作り出しました。ケトレーによって、統計学は人間社会を記述し、分析できるようになったのです。肥満度の指標であるBMI(Body Mass Index : 体重を身長の2乗で割った値)を考案したのもこの人です。
このような先生たちに教わりながら、当時最先端の数学・統計学を学びます。
ナイチンゲールは貴族たちの集まる社交界で、各分野の専門家たちと議論を交わしていたとされています。つまり、彼女は看護師でもありますが、数学・統計学など多様な学問に通じた学者でもあったのです!
2. 看護師としてのナイチンゲール
1842年、イギリスで大飢饉が起こり、大量の失業者で溢れた時、訪れた貧しい村で病気や飢えで苦しむ人を数多く目にしました。その姿を見たナイチンゲールは、苦しむ人たちを助けたい思いで看護の道を志します。しかし、当時看護師の扱いは現在では想像もできないものであり、不潔でだらしない仕事と見なされていました。上流階級の女性は仕事をせず、結婚して家庭に入ることが当然と考えられていた時代、看護師になりたいというナイチンゲールは家族中から大反対を受けました。それでも看護師への道を諦めなかった彼女は、ついにイギリス政治家シドニー・ハーバードの協力の下、看護学校へ入学することになったのです。
看護学校を卒業し、看護師となったナイチンゲールは、クリミア戦争の渦中にあった後方支援病院へと赴き、その医療現場を見て衝撃を受けました。当時の看護は公衆衛生に対する意識が、現代から見ると驚くほど低いものでした。患者は床に並べられ、消毒していない汲み置きの水と生茹での肉が与えられます。患者に巻いた包帯は色が変わるまで放置され、患者のすぐ横をネズミが通り過ぎる有様でした。
陸軍から看護を引き受けたナイチンゲールは次々と改革を行い、その状況を一変させました。まず病床を用意し、煮沸して清潔な水とシェフが調理した料理を与えました。包帯を毎日変えるよう指示し、ナイチンゲール自身が夜通し8時間包帯を巻き続けたこともあると言われています。今では当たり前の事かもしれませんが、そうする事で病院内の衛生環境は劇的に改善していきました。ナイチンゲール着任後目に見えて院内の死亡率は激減し、赴任当初には患者の40%以上が亡くなっていたこの野戦病院は、死亡率が2%まで下がりました。
3. ナイチンゲールと統計学
看護師としても非常に優れた業績を残した彼女ですが、歴史に残る活躍をするのはここからです。戦争が終結して、帰国したナイチンゲールは、クリミア熱という流行病にかかり、寝たきりになってしまいました。しかしその後、ナイチンゲールは病床にいながら、世界中の医療を変える大変革を起こします。まず、野戦病院の経験から、「当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争によるケガなどではなく、院内の劣悪な衛生環境にある」ことを突き止めました。この事実を誰にでもわかりやすく説明するために、学んだ数学・統計学を生かして「こうもりグラフ」「鶏のとさかグラフ」などの様々なデータ集計・可視化を行い、病院の現状をイギリス議会に訴えたのです。
このグラフによって、まずはイギリス陸軍の病院の衛生が見直されました。その後国中の病院でも改革が進められていきます。1860年にはクリミア戦争時に集められたナイチンゲール基金をもとに、ナイチンゲール看護学校を創設します。卒業生は世界中に渡り、世界の医療まで塗り替えていきました。現在では当たり前となっているナースコール、ナースステーションをはじめ、現代の病院の基本設計であるパビリオン式設計に至るまで、ナイチンゲールが考案したものです。その功績を讃えられ、ナイチンゲールは1859年に女性として初めて王立統計協会(the Royal Statistical Society)の女性会員に選ばれ、その16年後には米国統計学会の名誉会員にもなりました。
4. 終わりに
いかがでしたでしょうか。
ナイチンゲールのイメージは変わりましたか?
ナイチンゲールは世界中の医療を改革しました。「近代看護教育の生みの親」である白衣の天使・ナイチンゲールは、死亡統計の改善に尽力し、医療統計学を生み出した、まさに「統計学の母」でもあったのです。彼女が考案した死亡率や、平均入院日数の計算方式は、現在の医療統計学にそのまま使われています。
現代においても、看護学校に入学する際は、「ナイチンゲールの誓い」を立て、彼女が執筆した「看護覚書」を読み学びます。彼女こそが、歴史上数学・統計学をもっとも活用した人物の1人であると言えるでしょう。
最後に、そのナイチンゲールが残した名言を2つ紹介して、終わりたいと思います。
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。」
「あなた方は進歩し続けない限りは退歩していることになるのです。目的を高く掲げなさい。」
それではごきげんよう。
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<文/岡崎 凌>
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