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国語と数学は似ている!? 教科としての国語と数学の共通点

公開日

2016年5月10日

更新日

2016年5月10日

国語と数学は似ている!? 教科としての国語と数学の共通点

 皆さんは文系でしょうか、それとも理系でしょうか。
 もしあなたが文系なら、学生時代は現代文学や古典の勉強に明け暮れたかもしれません。一方理系なら、代数や幾何の勉強に明け暮れたかもしれません。
 文系の科目といえば国語、理系の科目といえば数学です。そして両者は、扱うものが全く異なります。国語で扱うのは小説や評論文、数学で扱うのは図形や方程式です。
 したがって、普段数学ばかりやっている理系に、国語の、例えば小説の問題なんて、とても解けるはずがない……。

 なんて思ってしまいますが、このふたつの教科、実は非常によく似ているのです。
 確かに見た目はまるで異なりますが、根底に流れる考え方はほとんど同じ。そのため、理系の人間であっても、国語の問題を数学的に解けてしまうことがあります。

 信じられませんか? では試しに一問、国語の問題を数学的に解いてみましょう。

問題
以下の文章を読み、あとの問に答えなさい。

 雨の日は憂鬱、とカコは思った。実際には「憂鬱」なんて難しい言葉を幼いカコは知らなかったが、もし知っていればそう言っただろう。雨の日は母の傘から出られないので、自由に歩き回れない。公園へ行っても、大好きなブランコに乗れないのだ。一日を家の中で過ごすことは、活発なカコには退屈すぎた。
 ある雨の日、カコは母と一緒にデパートへ出かけた。母はそこで、カコにレインコートを買った。カエルのキャラクターがプリントされた、可愛らしい緑のコートだ。これからは一緒の傘に入らなくてもいいよ、と母が言った。カコは嬉しくなって、元気よく外へ飛び出した

 

問.傍線部「元気よく外へ飛び出した。」とあるが、それはなぜか。次の選択肢より最も適切なものをひとつ選べ。
(1)雨の日は外で遊べず、母の買い物に付き合うのも退屈だったので、早く帰りたかったから。
(2)レインコートを着ていれば雨の日でも公園で遊べるので、今から遊びに行こうと思ったから。
(3)大好きなキャラクター物のレインコートをプレゼントされたことで、雨の日特有の憂鬱さがなくなったから。
(4)母に買ってもらったことで初めてレインコートの存在を知り、その性能を確かめたくなったから。
(5)一緒の傘に入らなくていいと言われたことで、母に自立したひとりの人間と認められたような気がしたから。

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 幼いカコちゃんが主人公の、可愛らしいお話ですね。
 この問題は、文章も選択肢もすべて筆者が作ったものなので、大して難しいものではないと思います。国語が得意な人なら、すぐに解けてしまう問題でしょう。
 ではこれからこの問題を、数学の問題のように解いていきましょう!

使う武器は論理的思考

 数学の問題のように解くといっても、使うのは数式ではありません。
 使う武器は、「論理的思考」です。

 ひとくちに論理的思考と言っても、この言葉に含まれる思考方法は多岐に渡ります。しかしこの問題で使うのは、「与えられていない条件を勝手に想像しない」という方法だけです。
 論理的思考とは、簡単に言えば「AならばBである」を繰り返す思考のことです。このAを仮定、Bを結論と呼びます。そして正しい結論を導くには、正しい仮定を置かなくてはなりません。もし仮定が間違っていたら、どんなに論理が正しくても、出てきた結論は正しいとは限らないのです。

「間違った仮定を置いてしまう」というのは、数学の問題を解くときによくやってしまう誤りの一つです。
 例えば図形の問題で、二本の線がなんとなく平行っぽく見えたから平行と仮定してしまったり。例えば証明の問題で、なんとなく正しそうな数式を正しいと仮定して使ってしまったり。
 この手の間違いは、与えられていない条件を勝手に想像しないこと、つまり「勝手に平行だと思わないこと」「勝手に正しい式だと思わないこと」に注意すれば回避できます。

 今回の問題も、そのようなタイプの問題です。
 まず、選択肢(3)を見てみましょう。

(3)大好きなキャラクター物のレインコートをプレゼントされたことで、雨の日特有の憂鬱さがなくなったから。

 幼い子供ならいかにもありえそうなことですね? 特に「元気よく外へ飛び出した」の前に「カコは嬉しくなって」とあるので、ますます正しそうに思えます。
 ところがこれは大間違いです。なぜなら、レインコートに描かれたカエルのキャラクターが、カコちゃんの「大好きなキャラクター」かどうか、本文中からは全くわからないからです。
 もしかしたら好きかもしれません。カコちゃんがこのキャラクターを好きだから、母はこのレインコートを買ったのかもしれません。
 でも、それは本文中には書かれていません。書かれていないことを勝手に想像するのは、数学の問題でも国語の問題でも、ご法度なのです。

 同じように考えれば、(4)も間違いだとわかります。

(4)母に買ってもらったことで初めてレインコートの存在を知り、その性能を確かめたくなったから。

 もしこれが正しいなら、カコちゃんは間違いなく理系ですね。ガチガチの理系の筆者は、幼い頃、新しいものを買ってもらったらまず真っ先にその性能を確かめていました。
 しかしカコちゃんが理系かどうかは、本文からはわかりません。それに、レインコートを知らなかったかどうかも、本文からはわかりません。確かに本文中には、「実際には『憂鬱』なんて難しい言葉を幼いカコは知らなかったが」という文章があります。カコちゃんはまだ幼いので「憂鬱」を知らず、もしかしたらレインコートも知らなかったかもしれません。
 でも、やっぱりそれは本文中には書かれていません。
 本文中に書かれていないことを根拠としている(4)も、間違った選択肢です。

与えられた条件から考える

 ここまでで、論理的に(3)と(4)を消去しました。しかし多くの人は、直感的に(1)を除外したのではないでしょうか。

(1)雨の日は外で遊べず、母の買い物に付き合うのも退屈だったので、早く帰りたかったから。

 確かにこれは間違いなのですが、なぜ直感的に除外できるのでしょうか。
 それは、本文がポジティブに終わっているのに対し、この選択肢はなんとなくネガティブな感じがするからでしょう。
 加えて、論理の流れが明らかに本文と異なるからでもあります。

 「元気よく外へ飛び出した」の前には「嬉しくなって」があります。カコちゃんは何かが原因で嬉しくなり、それで飛び出したのです。その原因は、直前の母の台詞「これからは一緒の傘に入らなくてもいいよ」にあると考えられます。
 つまり本文には、
一緒の傘に入らなくてもいい → 嬉しくなる → 飛び出す
という論理があるわけです。
 ところが選択肢(1)は、
買い物が終わった → 帰れる → 嬉しくなる → 飛び出す
という論理になっています。
 本文の流れを理解した人であれば、この違いをすぐに感じ取り、(1)は除外できてしまうのです。

 念のため付け加えておくと、本文中には「母の買い物に付き合うのも退屈だった」かどうか、書かれていません。「一日を家の中で過ごすことは」退屈だとありますが、買い物も退屈だったかどうかはわからないので、その点でもこの選択肢は間違いです。

 では、最後に残った二択を考えましょう。
(2)レインコートを着ていれば雨の日でも公園で遊べるので、今から遊びに行こうと思ったから。
(5)一緒の傘に入らなくていいと言われたことで、母に自立したひとりの人間と認められたような気がしたから。

 (2)はなんだか即物的というか、実利的な感じがしますね。(5)は少し高尚な感じがするでしょうか。道徳的には(5)がよい気がしますが、現実的には(2)もありえそうです。

 私たちはここまで、「与えられていない条件を勝手に想像しない」という考え方で、選択肢を潰していきました。ここでもそれを使ってみましょう。
 すると(2)は、「今から遊びに行こうと思った」の部分が、本文中にない条件になります。したがって(2)は間違いです。
 しかし、(5)の「自立したひとりの人間と認められたような気がした」も、本文中には書かれていません。よって(5)も間違いということになります。

 あれ? 選択肢がなくなってしまいましたね。この問題は、答えのない悪問なのでしょうか。
 いえ、そうではありません。
「与えられていない条件」を勝手に想像してはいけませんが、「与えられた条件」ならばいくらでも使ってかまいません。ですからここからは、(2)と(5)のどちらが正しいのかを、与えられた条件から推理してみましょう。

 与えられた条件から与えられていない条件を推理することは、私達が数学をやっているとき、常にやっていることです。あなたがごく普通に数学の問題を解いたとき、あなたは「与えられた条件(方程式、辺の長さ、etc)」から、「与えられていない条件(xの値、図形の面積、etc)」を導いているのです。
 それと同じことを、この問題でもやってみましょう。

 選択肢(1)について考えたとき、本文の論理は
一緒の傘に入らなくてもいい → 嬉しくなる → 飛び出す
となっている、と説明しました。
 では、なぜ一緒の傘に入らなくてもいいと、嬉しくなるのでしょうか。
一緒の傘に入らなくてもいい → ? → 嬉しくなる → 飛び出す
 この「?」に入るものは、なんでしょうか。これがわかれば、正解が導けます。

 カコちゃんは、雨の日には憂鬱になるのでした。しかし本文のラストでは、雨の日にも関わらず「嬉しくなって」います。この変化が起こった理由を知るためには、そもそもなぜ雨の日に憂鬱になるのか、その原因を知る必要があります。
 そしてそれは、本文の前半にはっきりと書いてあります。
「雨の日は母の傘から出られないので、自由に歩き回れない。公園へ行っても、大好きなブランコに乗れないのだ。」
 これです。
 カコちゃんが雨の日に憂鬱になる原因は、母の傘に一緒に入らなくてはいけないせいで、公園で遊べないことです。つまり本文のラストの論理は、
   一緒の傘に入らなくてもいい → 公園で遊べる → 嬉しくなる → 飛び出す
となっていたのです。

 従って正解は、「公園で遊べる」ことに言及している選択肢(2)。
 ブランコが大好きなカコちゃんは、お母さんにレインコートをプレゼントされたことで雨の日も思いっきりブランコで遊べるようになり、思わず走り出してしまったのでした。

Cute little boy having fun on a swing on a rainy day, wearing blue waterpoof all-in-one suit

 いかがだったでしょうか。国語の問題はこのように、論理的に解くことができるものなのです。

 国語と数学は、一見すると全く異なる科目です。しかしどちらも、その根底には「論理的思考」という考え方が流れています。
 文系にせよ理系にせよ、論理的思考はとても重要な武器です。学校科目としての国語や数学は、この考え方を学ぶために習っていたのです。

(文/キグロ)

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