江戸時代に学ぶ「ひっ算」
公開日
2021年5月26日
更新日
2021年5月26日
こんにちは。和からの数学講師の岡本です。今日は「ひっ算」についてのお話です!「ひっ算」といえば、2桁以上の数の計算を簡略化する方法として小学校の頃に授業で習います。今回はひっ算の歴史について触れていこうと思います。
この記事の主な内容
1.ひっ算は漢字で書くと「筆算」
表題にもあるように実は「ひっ算」を漢字表記すると「筆算」となり、「筆」という字を使います。これは江戸時代の数学者関孝和(?~1708)に由来するといわれています。
このあたりに関してはこちらのサイトに詳しく記事になっているので興味のある方はご覧ください
すごく簡単に説明すると、関以前の日本の数学は中国から伝わった「算術」がベースになっていて「算木」や「そろばん」などが使われていました。「そろばん」は現代でも見かけることがあり、実際に習っていた方もいらっしゃるかもしれません。そろばんはとにかくわかり易く、四則演算の計算に特化しているのに対して、「算木」は方程式を解くこともでき、汎用性が高い手法になっています。しかしそんな「算木」でも複数の変数がある方程式などの難しい問題に対応できませんでした。そこで、天才数学者の関孝和は「傍書法」という独特の手法を使ってこの問題を克服することに成功しました。筆を使い、わからない数を記号化する考え方が要となっています。このように「筆を使った算術」ということで「筆算」という言葉が生まれたようです。
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2.「筆算」を広めた数学者
関の算術は当時の最先端であり、これまでの中国数学を脱出し、日本独自の数学が構築されていきました。実際には西洋の数学者や物理学者の結果よりも数十年早く関独自の手法で求めていることもあるほどです。特に有名な話の1つにヤコブ・ベルヌーイが研究を行ったことが由来とされる「ベルヌーイ数」について、ベルヌーイとは独立に発見しており、現在では「関・ベルヌーイ数」とも呼ばれるようになりました。
しかし、現代の小学校で教えられるような「筆算」とは程遠く、高度な数学です。計算の基礎としての「筆算」を世の中に広げたのは江戸時代末期の数学者福田理軒(1815~1889)と言われています。彼は西洋の数学や数学の歴史書を日本で初めて1冊の本のまとめた人物です。また教育家でもあり、順天堂塾(現:順天中学校、順天高等学校)を設立、明治時代には小学校の指定教科書を執筆するなど、数学に近代教育に非常に影響を及ぼした人物です。
3.福田理軒の教える掛け算の「筆算」
それでは、実際に理軒の教えた「筆算」を簡単にご紹介します。例えば、\(57\times 62\)を計算してみます。まずは以下のような斜め線入りの2×2の表を作り、「五七」と「六二」を記します。
次に各マスに九九の計算を行い、十の位の数を左上に、一の位の数を右下に記します。
そして、以下のように斜めラインで色分けを行い、同じ色の部分を足し合わせます。
すると、求める\(57\times 62\)の計算結果\(3534\)が得られます!すごいですよね!なお、2桁でなくても同様に計算ができます!
魔法のような解き方のように見えますが、実はよく考えると、これは小学校のときに習ってきたいわゆる「ひっ算」そのものなのです!視点が変わると面白いですね。
4.さいごに
いかがでしたでしょうか?現代でも使われる掛け算の「筆算」は江戸~明治にかけてしっかりとその基礎が出来上がっていました。しかも図形的な教え方がなされているという点は非常に興味深いです。やはり歴史から学ぶことは多いですね!福田理軒に関しては以下の本がオススメです。
筆算をひろめた男 幕末明治の算数物語 丸山 健夫(著) 臨川書店
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<文/岡本健太郎>