KYって呼ばないで~数学の公理とは何か~
公開日
2025年1月28日
更新日
2025年2月25日

和(なごみ)講師の松中の古いメールから見つかった1篇の手記。読んでみると数学の公理を絡めながら、「KYと呼ばないで」と必死に主張をしているものでした。謎の手記について解説します。
●記事はこちらから!
https://wakara.co.jp/mathlog/20200930
●講師紹介:松中宏樹
https://wakara.co.jp/instructor/hirok…
●和からHP
過去の手記「KYって呼ばないで」
断捨離をしていた時に、10年前の手記 を発見しました。
タイトルは 「KYって呼ばないで」。
なんとも 物悲しい タイトルです。
10年前 の 私は24歳。
新卒1年目 で 東京にワクワク しながら、新生活 を スタート したはずの年。
でも、その手記には 「KYって呼ばないで」 と 必死に主張 している私がいました。
今読むと、若さゆえの表現 や 感情的な言い回し が目立ちますが、
10年前の自分 が 何に悩み、何を考えていたのか が 鮮明 に思い出されます。
今回は その手記をそのまま紹介 します。
誰かに何かを決めつけられて悩んでいる、
自分を理解してもらえずに苦しんでいる 人の 助け に なれば と願っています。
数学が好きな理由
手記の中で、なぜ私が数学が好きなのか を 理由 として 順位 づけしていました。
第1位:美しいから
第2位:物理とタッグを組んで現象を解き明かせるから
第3位:正しいか正しくないかが明確だから
第4位:裏切らないから
第5位:一人でもできるから
第6位:行く宛がないから
第1位の美しさ は、感性の問題 なので 言葉にしづらい のですが、
第3位の「正しいか正しくないかが明確」 という点について、
今回のテーマ に 深く関わってきます。
数学と現実社会の違い
数学 と 現実社会 の 一番の違い。
それは、数学 には 「公理」 という 絶対的な出発点 があるのに対して、
現実社会 には 誰もが認める「公理」がない ということです。
数学 では、公理 という 絶対的に正しいとみなす前提 を 元に、
定義 を 決め、定理 を 証明 していきます。
例えば、平行線公理 や 集合論の公理 などがそれに当たります。
しかし、現実社会 には 共通する公理 が 存在しません。
人それぞれ が 異なる価値観 や 判断基準 を 持っている からです。
例えば、ある人にとっての正義 が、別の人にとっては悪 であることもあります。
公理がない現実社会の難しさ
現実社会 には 公理がない。
つまり、人それぞれの判断基準 が バラバラ です。
例えば、「KY(空気が読めない)」 と 誰か が 誰かを批判 した時、
その空気とは何なのか、空気を読むとはどういうことか が 明確ではない のです。
ある人 にとっては 空気を読む ということが 美徳 かもしれませんが、
別の人 にとっては 個性を押し殺す行為 に 映る かもしれません。
絶対的な正解 が 存在しない のが 現実社会の難しさ です。
数学の公理とKYの関係
数学の公理 は 絶対的な前提 です。
誰もが正しいと認める前提 から 論理を構築 していくのが 数学 です。
だから、誰が考えても正しい結論 に 到達 します。
でも、現実社会 には その「公理」が存在しません。
だから、誰かの判断基準 が 他の人にとっては不快 に 映る ことがあります。
例えば、ある場の空気を読んで黙っていること が 正しい と 信じている人 と、
あえて空気を読まずに本音を言うこと が 正しい と 考える人 では、
「KY(空気が読めない)」 の 意味 が 全く異なります。
公理が違えば結論も違う。
だから、他人の価値観を一方的に否定することはできない のです。
KYって呼ばないで
10年前の私は「KY」 と 言われていました。
その時、私は悩んでいました。
なぜ、あの発言がKYなのか、なぜ自分が批判されなければならないのか、
全く理解できませんでした。
でも、今なら分かります。
私と相手とで「公理」が違っていた からです。
相手の公理 では 私の発言 は 空気を読めないKYなもの だったのでしょう。
でも、私の公理 では 友達を元気づけるための発言 でした。
公理が違えば、正しさも違う。
だから、相手の公理を一方的に否定してはいけない のです。
自分の公理 を 押し付ける のではなく、
相手の公理 を 理解すること が 必要 なのです。
数学の公理と現実社会の公理
数学の公理 は 絶対的な正しさ を 持っています。
誰もが正しいと認める前提 を 基に構築 されています。
でも、現実社会の公理 は 人それぞれ です。
絶対的な正しさ は 存在しません。
だから、他人をKYと決めつける前 に、
相手がどんな公理を持っているのか を 理解する努力 が 必要 です。
最後に
10年前の手記 を 読み返して、数学の公理 と 現実社会の公理 の 違い に
改めて気づかされました。
誰かをKYと決めつける前に、その人の公理を理解すること が 大切 です。
次回 は さらに深く掘り下げて、公理と価値観の関係 について 考えてみたいと思います。
次回もお楽しみに。