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統計でたどる人類と経済の発展史 第2回:中世イスラム圏とヨーロッパの記録文化と統治・商業

公開日

2025年9月5日

更新日

2025年9月19日

はじめに

第1回では、古代文明が「数える・記録する・比べる」という営みを統治や経済に結びつけてきたことを見ました。第2回の今回では、その流れが中世イスラム圏とヨーロッパでどのように制度化・高度化され、商業と官僚制の発展を支えたのかを解説したいと思います。悠久な歴史の中で人はどのように変化したのでしょうか。

イスラム圏のディーワーン(Diwan)と台帳文化

イスラム国家では、早くからディーワーン(dīwān)と呼ばれる行政・財務の部署が整備されました。語源的には「記録」「台帳」を意味し、やがて財務・軍事・文書などの官庁を指すようになります。中でもディーワーン・アル=ハラージ(Diwan al-Kharāj)は土地税を所管し、地租・課税対象・徴収額を体系的に把握したとされています。

こうした台帳は、軍の給付・年金、農地や灌漑の維持、都市インフラの整備などに直接使われ、また宗教的寄進制度であるワクフ(waqf)も、資産・受益者・運用方法を詳細に文書化し、社会福祉や教育の財源を支えました。これらは、記録=資源配分の根拠という近代的な発想の先駆けだったと考えられます。


紙の普及と記録の爆発(バグダード→アル=アンダルス→欧州)

8世紀に中国起源の製紙法がイスラム圏に伝わり、バグダードで794〜795年頃に製紙工房が稼働したと記録されています。これにより、紙は行政・学術・商業の情報インフラとして普及しました。その後、北アフリカ・イベリア半島へ広がり、スペインのシャティバ(Xàtiva)では1151年の製紙工房記録が知られています。13世紀以降はイタリアのファブリアーノ(Fabriano)で透かしや膠(にかわ)サイジングなどの技術革新が起こり、欧州の記録生産を一気に加速させていきます。

紙の供給増は、税台帳や契約文書、商業書簡、学術写本の量と流通速度を飛躍的に増大させ、紙は、記録の「コスト」と「可搬性」を改善し、統治と商業の両輪を潤滑にしたと考えられます。


ヨーロッパの記録文化:勅許状・ギルド規約・公証人台帳

中世ヨーロッパでは、勅許状(charter)ギルド規約公証人(notary)の登記簿が社会の隅々に浸透しました。これらは土地の売買・借地権、都市特権、商人同業者組合の規則、婚姻・相続契約などを法的に裏づけ、経済取引の履行可能性(enforceability)を高めました。

ドゥームズデイ・ブック(1086)は、ノルマン征服後のイングランドで作成された大規模台帳で、土地・資源・税負担の実態を全国的に記録したとされており、1万3千以上の地名が記載され、ロンドンなど一部を除く広域をカバーしたことが知られています。この規模の「全国台帳」は、後世の国勢調査や地籍台帳の雛形となったと考えられます。


商人の帳簿と複式簿記の萌芽

12〜14世紀の地中海商業の拡大に伴い、商人たちは仕訳帳(journal)総勘定元帳(ledger)で取引を二面的に記録する手法を発達させます。現存最古級の完全な複式簿記の例として、1299–1300年のファロルフィ商会(Giovanni Farolfi & Co.)の元帳が挙げられます。14世紀後半のフランチェスコ・ダティーニの膨大な帳簿群も、単式から複式への移行過程を示す重要史料です。

そして1494年、修道士で数学者のルカ・パチョーリが『算術・幾何・比および比例大全(Summa)』において「簿記論(De computis et scripturis)」を著し、複式簿記を体系化しました。以後、商人教育の標準となり、近代会計の基礎になり、今日に続いていきます。


まとめと考察

中世イスラム圏では、ディーワーンが税・軍事・文書行政を台帳で統合し、紙という媒体の普及がそれを後押ししました。ヨーロッパでは、勅許状や公証制度が契約の実効性を高め、国土規模の台帳(ドゥームズデイ)と商人帳簿の発達が情報の標準化を進めることになります。これらは、次の三層で相互強化し、経済の信頼と規模の拡大を支えたと考えられます。

  • 記録(データ)を制度に埋め込む
  • 媒体(紙)と情報インフラを強化する
  • 取引の検証可能性を高める

第1回で見た「測る→集める→整える→使う」の循環が、中世では官僚制・法・会計によって加速した、と整理できます。

また、近年では紙の代わりにパソコンによるデータになり、さらに利便性と有用性が上がっています。統計学やデータ分析は古くからあるものの、紙やパソコンといった技術が発展していくごとにどんどん有効活用されていくことになります。

<文/綱島佑介>

参考文献・出典

ディーワーン・ワクフ
Britannica「Divan」
Britannica「Waqf」
紙の普及
Crafts of Iraq「Baghdad: Paper Makers」
History of Information「Papermaking…Xàtiva 1151」
ヨーロッパの記録文化
The National Archives「Domesday Book」
複式簿記
CORE「Farolfi ledger 1299–1300」
Archive.org(Pacioli原典/英訳編)

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