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統計でたどる人類と経済の発展史 第5回:19世紀-産業革命とデータ収集・分析技術の進展

公開日

2025年9月8日

更新日

2025年9月22日

19世紀は、産業革命の進展によって経済がぐんと大きくなり、人々の暮らし方や社会の仕組みも急速に変わった時代です。こうした変化に合わせて、各国では統計の仕組みが整えられ、データを「集める」「わかりやすく見せる」「計算で分析する」「機械で処理する」といった流れが大きく発展しました。この記事では、統計の発展を4つの側面――制度化(国や役所での仕組み作り)可視化(グラフなどで表すこと)数理手法(計算の工夫)機械化(機械での集計)――に分けて、具体的な年号や事例を交えてやさしく説明します。


1) 公的統計の制度化(官庁化)

19世紀になると、数字を扱うことが「役人の個人努力」ではなく「国の仕事」として整えられるようになりました。国ごとに専門の役所が生まれ、人口や物価などの情報をきちんと集めて残す仕組みが作られていったのです。ここでは、そのいくつかを物語のように紹介します。

  • 1805年 プロイセン統計局:ベルリンに「王立プロイセン統計局」が登場しました。これは言わば“統計を扱うための役所”の第一歩で、その後ドイツ各地にも広がっていきます。
  • 1833→1840年 フランス:フランスでは商務省の中に「統計総局」が作られ、物価や人口、産業の数字を継続的に集めるようになりました。数字を集めることが国家の正式な業務として位置づけられたのです。
  • 1836年立法/1837年施行 イングランド・ウェールズ:出生や死亡、結婚を公に登録する「民事登録制度」が始まり、ロンドンに総登録局が設立されました。これにより「人口の動き」を確実に追える仕組みが整ったのです。
  • 1853年:ベルギーのブリュッセルでは、各国の統計担当者が集まる国際会議が開かれ、データの取り方や表の書き方をどう揃えるかが話し合われました。その後1885年には「国際統計協会」ができ、国境を超えて数字のルールが共有されるようになります。

こうした流れによって、統計は担当者の工夫や偶然に頼るのではなく、国家としての仕組みに組み込まれました。これが、長い時間にわたるデータの比較や、国どうしの数字の比較を可能にしたといえます。


2) 統計の可視化:グラフという“共通言語”の誕生

  • ウィリアム・プレイフェア(1786年)は、世界で初めて「折れ線グラフ」と「棒グラフ」を生み出した人物です。イギリスの貿易データを43枚の折れ線図と1枚の棒グラフにまとめ、数字の流れがひと目でわかるよう工夫しました。さらに1801年には『Statistical Breviary』で「円グラフ」も発表しました。今では当たり前のグラフ表現ですが、当時としてはとても画期的なアイデアだったのです。
  • フローレンス・ナイチンゲール(1858年)は「看護の母」として知られますが、グラフを使った説得の名人でもありました。クリミア戦争のとき、兵士が戦闘ではなく不衛生な環境で多く亡くなっていることを伝えるため、花びらのような形の「コックスコーム図」を考案しました。この図を見た人々は強い衝撃を受け、衛生改革の重要性が広く理解されるきっかけとなりました。

グラフの普及により、統計は専門家だけでなく広い読者が“見て理解できる”ものへと変わりました。


3) 数理手法の進展:最小二乗法の確立

  • 1805年A. M. ルジャンドルが『彗星の軌道決定のための新方法』の付録で最小二乗法を初めて公表しました。これは「たくさんの観測値のズレをどうやってまとめるか」という問題を解決する方法です。観測値には必ず少しの誤差が混じりますが、その誤差を二乗して合計し、それが最も小さくなるように平均的な線を引くのが最小二乗法です。こうすることで、バラバラに見えるデータの中から“もっともらしい答え”を導けるようになったのです。
  • 1809年C. F. ガウスが『天体運動論(Theoria motus)』でこの方法を理論的に説明し、自分は1795年からすでに使っていたと述べています。ガウスの整理によって、最小二乗法は天文学や測量の精度を飛躍的に高める道具となり、のちに社会や経済データの「傾向をつかむ計算方法(回帰分析)」の基礎にもなりました。

誤差を数理的に扱う枠組みが整ったことで、社会・経済データにも「法則性」を検討する道が開かれたといえます。


4) 集計の機械化:パンチカードと電気集計機

  • 1888年、米国センサス・オフィスは集計機の競技試験を行いました。これは「どの方法が一番速く正確に大量の調査票を処理できるか」を比べる大会のようなものでした。3つの方式が試され、セントルイスで集めた調査票をカードに変換する作業では144.5時間/100.5時間/72.5時間、その後の集計準備では44.5時間/55.5時間/5.5時間という結果になり、ハーマン・ホレリスの方式が圧倒的に速いことが証明されました。
  • 1890年国勢調査では、実際にホレリスのパンチカード式集計機が採用されました。オペレーターはカードに穴を開けて情報を記録し、それを機械に通すことで自動的に集計ができました。熟練者なら毎分約80枚のカードを処理でき、1人で1日に約500枚のカードを作ることも可能でした。これは、これまで人が一枚ずつ読み上げて手で集計していた作業に比べると、まさに「革命」でした。その結果、調査は予定よりも数か月早く終わり、費用も大幅に削減されました。そして1890年の米国人口は6,297万9,766人(公式値)と発表され、10年前に比べて約25.5%増という驚きの伸びが明らかになったのです。

機械化は「計算資源」という制約を大きく緩め、“より多くの項目を、より細かく、より速く”集計できる時代を切り開いたと思います。

5) 小括:19世紀の意義

19世紀は、次の4つの大きな変化が同時に起こった世紀でした。

  1. 国が責任を持って数字を集めるようになったこと(統計の官庁化)で、継続的にデータを残せる基盤が整いました。
  2. 数字をグラフで表す工夫(可視化)が広まり、数字が“目で見てわかる”ものになり、政策を動かす説得力も生まれました。
  3. 誤差を整理して全体の傾向を正しく読み取る方法(数理手法)が発展し、データから信頼できる結論を導きやすくなりました。
  4. 手作業では追いつかない大量の数字を機械で処理できるようになったこと(機械化)で、スピードも精度も飛躍的に向上しました。

こうした流れが重なったことで、統計は単なる「数の記録」から、産業社会を支える欠かせない仕組みに変わりました。そして「データに基づいて判断すること」が社会全体の当たり前の考え方として根づいていったのです。

この動きは次の20世紀につながっていきます。20世紀に入ると、統計の方法はさらに整理され、金融や保険といった分野に応用されるようになります。次回は、こうした統計の標準化と新しい応用の広がりについて見ていきましょう。

<文/綱島佑介>

参考文献・出典

  • U.S. Census Bureau(1890年国勢調査に関する公式資料一式:ホレリス集計機の競技試験、処理速度、集計完了時期、人口速報値など)
  • William Playfair, The Commercial and Political Atlas(1786年初版・1801年版、グラフ史上の代表作)
  • Florence Nightingale, Notes on Matters Affecting the Health…(1858年、極座標図による死亡原因の可視化)
  • Statistique générale de la France(1833年設立/1840年改称の沿革資料)
  • General Register Office for England and Wales(1836年法制化/1837年施行の民事登録制度)
  • Königlich Preußisches Statistisches Bureau(1805年創設、プロイセン統計局)
  • International Statistical Congress(1853年会議)/International Statistical Institute(1885年設立)
  • A.-M. Legendre, Nouvelles méthodes…(1805年、最小二乗法の初出)
  • C. F. Gauss, Theoria motus…(1809年、最小二乗法の理論展開)

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