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統計でたどる人類と経済の発展史 第6回:20世紀前半-統計手法の標準化と金融・保険分野への応用

公開日

2025年9月9日

更新日

2025年9月23日

前回(第5回)では、19世紀に統計が「国が制度として扱うもの」になり、グラフの誕生や機械化によって一気に進化した姿を見てきました。その続きとして20世紀に入ると、統計は「学問」として整理され、さらに世界共通の基準が整えられていきます。同時に、金融や保険といった私たちの生活に直結する分野でも応用が広がり、統計は社会の基盤を支える存在へと成長していきました。

今日ではニュースを見ても、インフレ率や失業率、保険料の改定、株価の動きなど、日常的に「統計」が登場します。たとえば最近話題になっている物価高騰や金融不安も、根拠となるのは数字や指標です。このあたりの内容は20世紀前半の出来事から端を発しています。

今回は、その大きな流れを物語のように紹介していきたいと思っています。

1) 統計の“国際ルール”づくり

19世紀までは、国ごとに統計の集め方や表の書き方がバラバラでした。人口をどう数えるか、物価をどんな基準で測るかが国によって違い、数字を並べても比較できないという問題があったのです。これでは国際比較が難しく、研究や政策に活かしにくい状況でした。

そこで登場したのが 国際統計協会(1885年設立) です。各国の専門家が集まり、「人口はこう数えよう」「物価はこうまとめよう」といった共通ルールを話し合いました。その結果、世界の国々で統計が少しずつ揃い始め、数字を使った国際比較や研究がようやく可能になっていきます。

例えるなら、世界中でサッカーをするのに、国ごとにルールが違ったら試合になりません。ボールの大きさやゴールの形まで違えば、まともに競えないでしょう。統計も同じで、“共通ルール”があるからこそ国境を越えて比較できるのです。

こうした国際的な取り組みは、今の私たちの生活にもつながっています。たとえば「日本のインフレ率とアメリカのインフレ率を比較する」といったニュースが毎日のように流れますが、それは過去にこうした基準づくりが進んだからこそ可能になったのです。


2) サンプリングの革新

20世紀初頭には「標本調査」という考え方が発展しました。これは、社会全体を調べるのではなく、一部の人をランダムに選んで調べることで全体の傾向をつかむ方法です。言い換えると、“社会を映す小さな鏡”をつくるイメージです。

この方法が必要とされた背景としては当時、都市化が進み人口も増え、すべての人を対象に調査することは現実的にほとんど不可能でした。全員を調べようとすれば、膨大な人員・時間・費用がかかり、調査を終える頃には状況が変わってしまう恐れすらあったのです。そのため「限られた対象からでも社会全体を推測できる方法」が強く求められたのです。

  • 1906年 アーサー・ボウリー(イギリス)は、ロンドンの労働者の生活調査でこの考え方を実際に使いました。無作為に人を選ぶことで偏りを防ぎ、少人数のデータから社会全体の姿を推定することに挑戦したのです。

これは当時としては画期的な発想でした。もし100万人全員を調べようとしたら莫大なお金と時間がかかりますが、標本調査ならそのごく一部を調べるだけで大きな傾向が見えてきます。今日の世論調査やテレビの支持率調査が、数千人へのアンケートで全国の意見を代表させられるのも、この発想のおかげです。

「みんなの声」を全部集めることは難しい。でも、正しく選んだ“少数の声”があれば、全体の動きをかなり正確に読み取れる──これが標本調査の面白さであり、今も私たちの生活に欠かせない仕組みになっています。


3) 経済指標の誕生

この頃、政府の統計も進化していきました。特に「経済指標」と呼ばれる仕組みが整えられ、国の景気や生活の状況を数字で表すことができるようになったのです。これらが必要とされた背景は、産業革命以降の経済が急速に大きくなり、人々の暮らしも複雑化したためです。単純に税収や人口を数えるだけでは、社会の実態をつかめなくなっていたのです。

  • 物価指数(CPI):日常の買い物でどのくらい値段が上がったか、下がったかを数字で示す指標です。パンや衣服のような生活必需品の値段が全体としてどの方向に動いているかを把握できます。これがあることで「インフレ(物価上昇)」や「デフレ(物価下落)」を客観的に測れるようになりました。
  • 失業率:働きたいのに職が見つからない人の割合を数字で示す指標です。景気が良いと失業率は下がり、悪くなると上がります。これにより、政府は「仕事が足りているのか」をすぐに判断できるようになりました。

こうした指標は、政策を考える上で欠かせない「社会の体温計」のような役割を果たしました。今日でもニュースで「CPIが上がった」「失業率が改善した」といった報道を耳にしますが、それは100年以上前に作られた仕組みが今も生きている証拠です。20世紀初頭にこうした数字が整ったことは、まさに「数字で景気を語る時代」の幕開けだったのです。


4) 保険と金融での統計活用

統計はどんどん進化していき、いよいよ人々の暮らしに直結する「お金の世界」にも入り込んでいきます。

  • 生命保険では、17世紀末にエドモンド・ハレーが「生命表」を作ったことが始まりでした。20世紀に入ると、各国で膨大な死亡データが集められるようになり、それを基に保険料を細かく計算できるようになりました。当時、保険制度は急速に広がり、多くの人々が安心を求めて加入しましたが、データに基づかない料金設定では会社が破綻する危険があったため、統計を使って保険料を正しく計算することで、会社も安全に運営でき、加入者も「きちんと計算された安心」を得られる仕組みが整ったと言えます。
  • 金融市場でも統計は力を発揮しました。産業革命後、株式市場が拡大し、価格変動が生活や国家経済に直接影響を与えるようになりました。1900年、フランスの数学者ルイ・バシュリエは、株価が「一見すると不規則に動いているが、その背後に確率的な法則がある」ことを示しました。これは単なる学術的な発見にとどまらず、投資家や政府にとって「市場をどう理解し、リスクをどう管理するか」という実践的な指針にもつながりました。

こうして保険や株式市場に統計が入ったことで、家庭の安心から国家の経済運営まで、データに基づいて判断するという考え方が強く根づいていったのです。

まとめ

20世紀前半は、

  • 統計の国際ルールづくり、
  • サンプリング調査の発展、
  • 経済指標の整備、
  • 保険や金融での応用、

という大きな動きがありました。

こうした取り組みがなぜ重要だったのか。それは、急速に変化する社会や経済を正しく理解するためには、これまでの単純な記録や経験則だけでは不十分だったからです。国際的な貿易や金融が広がり、人々の生活が都市化によって多様化した20世紀初頭では、数字で世界を“測る道具”がどうしても必要になったのです。

統計は学問として成熟すると同時に、政策判断や暮らしの安心に直結する実践的なツールとして活躍し始めました。新聞やニュースで目にする「インフレ率」「失業率」などの言葉が人々の会話に入り込み始めたのもこの頃です。つまり、統計は専門家だけのものではなく、市民の生活感覚にも結びつく存在になったのです。

この流れはやがて、1929年の世界恐慌によって一層強く意識されることになります。経済危機の中で「本当に必要な数字とは何か」が問われ、統計の役割は一段と大きくなっていくのです。次回は、その世界大恐慌と統計の役割について見ていきましょう。

<文/綱島佑介>

参考文献・出典

  • International Statistical Institute(設立 1885年)
  • Arthur Bowley, Livelihood and Poverty(1906年、ロンドン労働者調査)
  • U.S. Bureau of Labor Statistics, Consumer Price Index 歴史資料
  • OECD, Historical Unemployment Rates
  • Edmond Halley, Life Table(1693年)
  • Louis Bachelier, Théorie de la spéculation(1900年、パリ大学博士論文)

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