統計でたどる人類と経済の発展史 第7回:世界恐慌と統計の役割
公開日
2025年9月10日
更新日
2025年9月24日
前回(第6回)では、20世紀前半に統計が国際的なルールとして整えられ、サンプリング調査や経済指標が誕生し、さらに保険や金融の分野で広がっていった流れを見てきました。数字が社会や生活に密接につながり始めたのです。
しかし1929年、アメリカの株価大暴落から始まった「世界恐慌」は、統計にとっても大きな試練となりました。この未曽有の経済危機の中で「どんな統計が必要なのか」「どう活かすのか」が強く問われることになったのです。
この記事の主な内容
1) 世界恐慌とは何だったのか
1929年10月24日(暗黒の木曜日)、ニューヨーク株式市場で株価が大暴落しました。投資家たちはパニックに陥り、わずか数日で数百億ドルが消え去りました。株を担保にしていた銀行や企業も連鎖的に倒れ、街には職を失った人々があふれました。失業率はアメリカで25%近くにまで跳ね上がり、やがて世界各国へと危機が広がっていったのです。
これは単なる株価の下落ではなく、世界経済全体が音を立てて崩れ落ちる未曽有の事態でした。
さて、なぜここで「統計」が必要とされたのでしょうか。
それは・・・人々の暮らしは急速に悪化しましたが、その深刻さを正確に示す数字がなければ政府も適切な対策を打てません。銀行の破綻件数、失業者数、賃金水準、産業ごとの生産量──そうしたデータを整理して初めて、どの分野を優先して支援すべきかが見えてくるのです。この危機は「経済を正しく測る数字が政策の命綱になる」という事実を強烈に示した出来事でした。
2) 国民所得統計の誕生
世界恐慌は「国全体のお金の流れを数字で把握する必要性」を浮き彫りにしました。銀行の倒産や企業の破綻が相次ぎ、人々の収入や消費がどれだけ落ち込んでいるのかを把握できなければ、政府は有効な対策を立てられなかったのです。
- サイモン・クズネッツ(アメリカ)は1930年代に国民所得の統計を整備しました。これは、国全体の生産や所得の規模を数字で示す仕組みで、後に「GDP(国内総生産)」へと発展します。
- こうして「今の経済はどれくらいの大きさか」「どれくらい成長しているのか」「国民はどのくらい豊かになっているのか」を客観的に測れるようになり、政策の方向性を決める指針となりました。
たとえば公共事業を増やすべきか、減税が必要かといった議論も、この数値があることで根拠を持って行えるようになりました。今日当たり前のように使われるGDPは、まさにこの時代の危機が生んだ統計だったのです。
3) 雇用統計の重要性
世界恐慌で最も深刻だったのは失業でした。街には職を失った人々が溢れ、炊き出しの列がどこまでも続き、新聞売りの少年やホームレスが急増しました。社会全体に不安と絶望が広がり、人々の暮らしがどれほど打撃を受けているのかを示す数字が求められるようになったのです。
そこで「失業率」を定期的に測り、景気回復策の効果を判断するための基準とする仕組みが必要とされました。なぜなら、ただ“失業者が増えた”と感じるだけでは政策を動かす根拠にはならず、数字として示されることで初めて政治家や経済界を説得できるからです。
- アメリカでは1930年代に労働省の下で本格的な雇用調査が進められました。
- その後、失業率や雇用者数が毎月発表される仕組みが整い、景気判断や政策立案に必要な基準として定着しました。
雇用統計は「人々の暮らしの安心度」を測る体温計となり、今も世界中の市場や政策判断に大きな影響を与えています。
4) 政策と統計の結びつき
世界恐慌は「統計を政策の武器にする」流れを決定づけました。大恐慌で生活基盤を失った人々をどう支援するか、どの産業に資金を回すか──政府は前例のない課題に直面し、その判断のよりどころとして数字が不可欠だったのです。
- アメリカのルーズベルト大統領によるニューディール政策では、大規模な公共事業や社会保障の整備を行うために、失業率や生産統計といったデータが綿密に使われました。例えば「どの地域に失業者が集中しているか」を把握して道路やダムの建設計画を割り当てる、といった実際の施策に直結したのです。
- このように統計は単なる現状報告の数字ではなく、政策の効果を検証し、次の施策を練るための「実践的なツール」となりました。数字は人々の暮らしを救うための道しるべに変わったのです。
まとめ
世界恐慌は、統計にとって大きな転換点でした。国民所得統計(後のGDP)や雇用統計といった「経済を測る基本の数字」が生まれ、統計が初めて政策と直結するようになりました。
この危機では人々の生活の苦しさを“肌感覚”で理解するだけでは足りず、国全体の経済規模や雇用の実態を数字で把握することが、政策を進める上で必要だったからです。
例えば公共事業をどの地域に重点的に行うか、税制をどう見直すかといった議論も、GDPや失業率といった数値があって初めて根拠を持つことができました。統計は単なる数字の集まりではなく、経済を再建するための“指針”としての役割を担うようになったのです。
今日、ニュースでGDPや雇用統計が発表されると株価が大きく動きますが、その仕組みの原点は1930年代の世界恐慌にあります。数字は社会の危機を乗り越えるための道具として磨かれ、その重要性が誰の目にも明らかになったのです。
次回は「第8回:戦後復興と統計の拡大」について見ていきましょう。
<文/綱島佑介>
参考文献・出典
- Bureau of Labor Statistics (BLS), Historical Unemployment Data
- Simon Kuznets, National Income, 1929–1932 (1934)
- U.S. Department of Commerce, Historical GDP Data
- Franklin D. Roosevelt Presidential Library, New Deal Programs Archives
- Eichengreen, Barry. Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919–1939 (1992)





